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収集癖についての考察
2007/02/09(Fri)
奇妙な情熱にかられて―ミニチュア・境界線・贋物・蒐集 奇妙な情熱にかられて―ミニチュア・境界線・贋物・蒐集
春日 武彦 (2005/12)
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蒐集物語 蒐集物語
柳 宗悦 (1989/11)
中央公論社
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 蒐集癖は神経症的な営みである。病気とまではいえなくとも、神経症に近い。蒐集などに熱を上げないで済む者のほうが明らかに健全である。ただし健全であることと人間的な奥行きがあることとは別だけれど。(「奇妙な情熱にかられて」)


最近、「収集癖」という心理について自分なりに研究している。
なぜ切手を集めるのか?
別に切手じゃなくても服でも靴でも模型でも構わない。
特定の物体を自分の近くに移動させてるだけ
甚だ無意味(注1)な行為にどうしてそこまで膨大なエネルギーを使うのか?
考えがまとまってないので、以下は現時点でのメモ書きと思ってくれればOK。

スタンプマガジン2月号、ルイス行啓さんの連載記事「四代目の憂鬱」に
父親のセリフということでこんなセリフが載っていたので引用する。

そうそう、切手収集って、最初の内はいろいろなものが集まってくるから楽しいけど、長いことやっていると、〈楽しみ〉から〈使命感〉に変わって、最後には〈義務感〉になってくるぞ。まあ、愛煙家のニコチン中毒みたいなものにだけはなるなよな。収集もほどほどにな。


実のところ、いろいろ読んだ文献でこれが一番端的だった。
「蒐集物語」でも「蒐集は心理的には興味であり、生理的には性癖である」と
最初の方で触れられている。
ではなぜ「興味」が「性癖」を抱えて膨れ上がっていくのか?

総じて人間は、精神的に追い詰められると無意識のうちに用いる作戦がある。現状の自分では、世界をまるごと相手にしていては勝ち目がない。精神的にも身体的にも、そんな大きすぎて取りとめのない存在なんかには太刀打ちできない。そこで自分が扱わねばならない世界を小さなものにしようとする。戦線縮小を図るわけである。(「奇妙な~」)


もしあなたが超人、つまり精神的に完全な人であれば、
自分に何の不安も感じない、すなわち興味というものすらもたないだろう。
しかしながら、あなたはおそらく凡人である。

それゆえに「無限とみなせるほど広い世界における、限りなくゼロに
近い無視できるレベルの自分」であることを自覚しながら、
それでもどこかで「特別な存在」でありたいと思っているはずだ。
ひらたく言うなら「『オレってすげぇ』って思いたいんでしょ?」ということ。
そうしないと「存在」できない(と思っている)から。

そしてアメーバのように様々な方向に触手を伸ばす。
そして自らの居心地のいい場所で根を下ろし始める。
狭く区切った範囲で自分の世界を構築し始める。
例えば分類・整理する。その上で不足と思える部分を補う(完全癖)。
そして「特別でありたい」ために「他人の持たないもの」を求める。

すると、それが自分の「一部」になり「半身」になり、
やがて「すべて」にスライドする(注2)。
するとあなたの一部がコレクションなのではなく、
コレクションの一部があなたになる冬虫夏草のように。

しかし、大部分の人は「一部」になった時点であいまいに満足する。
ではそれが「半身」や「すべて」になる境目はどこなのか?
「四代目の憂鬱」にもあったように、「~したいwant」が
「~しなければいけないmust」になったとき
だと思う。
誰に言われたわけでもないのに、
自分の中の「何か」に追い立てられるようになったときだろう。

蒐集癖に親和性の高い神経症としては
強迫性障害(強迫神経症)あたりらしい。
一種ではなく特殊な形態とする説もあり
また、女性よりも男性に傾向が偏っていることから、
脳の仕組みとも関係があるらしい。

では、蒐集行為によってヒトは救われるか。妄想が救済につながらないように、コレクションが我々を救うことはない、絶対に。煩悩がよりドライブされ、欲求不満がより高まるだけである。(「奇妙な~」)


いや、そんなことない、と思う人もいるだろう。
コレクションしていてお友達ができました、楽しいです、と。
私もその一員だから敢えて言う。
モノがあなたを救ってるんじゃない。
ヒトがあなたを支えているだけだ。

そこを勘違いしちゃいけない。

例えばコレクションが不完全だということに不安を感じ、
コレクションを完全にしようとモノを集めて束の間安心する。
これを繰り返しているなら一種の強迫性障害です。

別に不完全なコレクションでも誰も気にしないから安心しなさいって(笑
ウソだと思ったらその収集を1年ぐらいスッパリやめてみ。
最初は色々あるかもしれんけど、そのうち自分含めてどうでもよくなるから。

あ、最後にひとつだけ。
もしこれ読んでうちのじーちゃんもヤバイから
コレクション処分してやろうか、と思ってる方。
それやると間違いなくじーちゃんボケるから止めとけ。
「鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい」

よく「緊張しない方がいい」「ストレスない方がいい」っていうけど、
あれってウソで、ある程度必要だから緊張するんですよ。
(緊急事態なのにぼーっとしてたら死ぬでしょ?)
つまり不足でも過剰でもいかんということ。

結論、何事もほどほどにな、というありきたりなオチで。



(注1)
意味を持たせない限り無意味だということ。
その行為によって新しい「意味」が作り出せるかということ。
「蒐集物語」曰く「蒐集は私有を越えて、普遍的な価値をこの世に
贈るのである。物があるというよりも、蒐集によって物が創造される
と言わねばならぬ。良き蒐集家は第二の造り主である。」

(注2)
それ自体に良い悪いということはない。
注1でも述べたように「普遍的な価値をこの世に贈る」ことができるか、
ということ。水の流れと同じで外界に通じてないと濁って澱んで腐る。
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コメント
- おひさです -
> 「緊張しない方がいい」「ストレスない方がいい」っていうけど、
> あれってウソで

ウソというより今の世の中が緊張過多状態にあるんですよね。

私は学生時代、周りの連中(理系オタ)を見て「アイツら電子と追いかけっこしてる」
と自嘲(笑)していましたが、今や世の中全体がそういう感じになってきてる感じで
「そりゃ疲れるよな~」と思わざるにいられません。

> 不足でも過剰でもいかんということ

「あそび」には適度なゆとりが必要で、足りなければ軋むし多すぎればガタが来ます。
機械ですらそうなのですから。「目指すは0か1。どちらかに振り切れるまで」
なんて「あそび」を生身である人間が続けていればおかしくなってきます。

それでもまあ人間の価値を「何を成したか」ではかるのであれば
それは全く無意味とも言えませんが…。
(確かにそれはもう楽しみを追求するための「あそび」ではないですね)
2007/02/10 01:39  | URL | AMON #-[ 編集] ▲ top
-  -
> AMON様
男性に多いんですが、この業界、周りを考えず自分が楽しければOKな困ったちゃんは確かに多いですね。
度が過ぎるまで「遊ぶ」のであれば社会に何かを還元すべきだし、それができないんであれば適当なところで止めとけって気がします。
2007/02/14 02:20  | URL | HIDEN #SJMMuUIM[ 編集] ▲ top
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きってコレクションBLOGの収集癖についての考察を読んですごいハッとした。今日はまじめに考えよう。蒐集癖は神経症的な営みである。病気とまではいえなくとも、神経症に近い。(「奇妙な情熱にかられて」)そうなんだ。何かショック。神経症って…そんな繊細な人間じゃなか …
2007/02/11 13:48  こもちゃ箱
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